昭和11年毛野時報の11号に掲載された新井信示氏の「八王子山脈縦走記 好箇のハイキングコース」に“石尊山(唐沢山)から約1キロで分水線上220mの山頂に雷電様の石宮が有って(中略)雷電様があるから、雷電山であらう。(中略)うら山のすぐ北に金井菅塩の谷から広沢村大字舞臺へ越える岐路があって標高約180mの處を越えて居る。それから尚も分水線上を北へ北へと進んで、標高200mの瘤やまを二つ越えて220余mの無名山(思うに高つぼ山か)に上がりそれを下って更に次の220mの頂上に立って”という記述がありました。

朝9時に賀茂神社の前でお取引先と落ち合いヘロコヤシキと杉ノ入山をご案内する予定だったのですが、ヘロコヤシキの急登をご覧になったお取引先がここは後でゆっくり登ると仰るので、杉ノ入山だけのご案内となりました。杉ノ入山に大層ご満足になったお取引先は「今日はもう十分、お仕事月曜日によろしくね」と仰り、午前の早い段階で解散となってしまいました。

という訳で冒頭の記述に戻ります。時間も早いし雷電山の石祠でも探してみるか、と思い東沢寺から唐沢山を目指しました。唐沢山では楚巒山楽会が何年も前に設置した山名プレートがなんとか山名と標高を読み取れる状態で健気にがんばっていました。前回登った時は立木に吉沢方面を示すテープがはってあったのですが、なくなっていました。岩場の石祠の当たりにも同様のテープがあったのですが、それもはがれてしまったようです。
東沢寺から唐沢山までははっきりとした踏み跡で気持ち良く登って来れるのですが、唐沢山から一歩菅塩峠方面に踏み出すと薮と倒木の道になってしまいます。冒頭の記述とは離れてしまうのですが、石尊山から1キロとあるので、山の上沢への分岐あたりのピークに雷電様の石祠があると思い探してみたのですが、見つかりませんでした。概念図の雷電山は書いてみただけです。
当初の目的を逸して、薄い踏み跡と時折あらわれる赤テープに導かれて下って行くと密生した笹薮に前途を阻まれました。帰りのことを考えて北金井方面にはおりたくないと思っていましたので、笹薮のない進行方向左には行けません。笹薮の手前につけられた赤テープを頼りに笹薮に飛び込みました。踏み跡はかえって笹薮の中の方がわかりやすく、突破して登り返した所が西溪山(にしたにやま)でしょう。たぶん。ここだと確信して撮影した写真ではないので、掲載した西溪山の山頂写真はアバウトです。

この先の切通しが菅塩の谷から広沢村大字舞臺へ越えるという冒頭の記述に合致するのですが、標高と距離があいません。236mのピークは西溪山か高つぼ山でしょう。
菅塩峠〜籾山峠の道よりも薮と倒木がひどいように思われましたが、コース全体を通して薄いながらもそれとわかる踏み跡は続いていました。赤テープも要所要所に確認できて勇気づけられました。いつものように地図コンパスを持たない山歩きですが、無事菅塩峠に辿り着きました。2007年に楚巒山楽会が設置したプレートにご対面です。籾山峠〜黒石峠の縦走は往路を戻る気になれますが、ここは潔く賀茂神社に下り舗装路を東沢寺まで歩きました。

2007/1/31 すずき@東毛さんの探検により菅塩峠の位置が1/25000図よりも東に有ることが判明しました。概念図を訂正し、上記の西溪山は雷電山に訂正します。西溪山の位置はまだ特定できていません。
2007/2/14 概念図三たび訂正です。すずき@東毛さんが地元の古老に取材されたところ雷電山としていた236mピークは(西)高壷山と判明しました。菅塩峠の位置の訂正に続き、ひとのふんどしで、ですが、すずき@東毛さんがブログに書かれた浅間山と東高壷山を新たに項を設けて紹介します。西溪山と雷電山の位置は特定できていません。

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